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お片付け

シンプルに暮らしているつもりで、まだまだあった捨てるべき物

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捨てる お片付け
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梅雨の最中は体調が悪く、停滞していた片付け。

梅雨が明けて、晴れ上がった途端のこと。

部屋を掃除していると、タンスの下からお寺で貰ったお札が出てきたのです。

今年2月に貰って飾っていたのに、飾っていた事すら忘れていました。

「家内安全・開運招福」と書かれていたお札を見て、元あった場所に飾りなおす。

いつの間にかなくなって、今になって急に出てきた意味を考えたりしていて、何だか不思議な気分になりました。

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お札効果で断捨離に火が付く

お札を見たからなのか?ちょっと自分でも説明がつきませんが、掃除機をかけ終わると、放置していた不用品が入った段ボール箱を、パワーセラーさんの宅配品無料回収に、すぐに送る手配を。

近所のコンビニに持ち込み、家から出してしまった。

その他に捨てた物は、

  • パンツ(下着)
  • 靴下
  • ワンシーズン使ったブラジャー
  • インナー
  • ダブついたハンドタオル
  • 布袋
  • 履き古した靴

でした。

シンプルに暮らしているはずだったけど、手放せずに置いているものがまだまだありました。

「いる」と思い込んでいる物が「実はいらない」と思えるきっかけが何なのか、自分の中でも説明がつきません。

なので、お札効果ということにしておこうかなと思います。

きっと私を開運させるために、まだ運気が下がる捨てるべき物がある、と気づかせてくれたように思います。

都合のいい解釈かもしれませんが。

古びた布類を捨てると運気が上がる

古い下着や洋服を身につけていると、出会い運に影響すると言います。

古びた物を身につけている

自分を大切にしていない

自己肯定感が低くなる

自己肯定感の低い人には相応の出会いしか巡って来ない(良い出会いが巡って来ない)

現実的に考えると、こんな解釈もできると思います。

直接肌に触れるパンツやブラジャー、靴下やインナー類は、汚物や汗に触れています。

いくら洗濯して清潔な物を身につけていても、肌に触れる布に蓄積された陰の気は、少なからず自分自身の価値に影響しているように思います。

さて、

1.いつも清潔で新しい下着を身につけている自分
2.着古して穴まであいている下着を身につけている自分

どちらが気後れせず、堂々としていられるでしょうか?

1の「いつも清潔で新しい下着を身につけている自分」の方が、確実に気持ちが上がるのではないでしょうか。

気持ちが上がる=運気が上がる

運気と気持ちは相乗効果があります。

高い物でなくてもいいから、くたびれていない物を身に着けることで、言葉では表せない、自分自身が放つ「印象」を変える事ができるのだと思います。

20年間、苦楽を共にしてきた靴との辛い別れ

布類の他に手放したのが、20年間も履いたビルケンシュトックの定番、パサデナ。

20年履いたビルケンシュトックの靴

もういい加減擦り切れて、縫い目の部分で亀裂が入って修復も難しい状態になっていました。

直近10年間は家の周辺だけで履いていましたが、私にリセットの時期が来たせいなのでしょうか。

コロナウイルスの感染拡大で家にいる時間が増え、家の周辺を散歩したりするようになると、靴の裏がツルツルだし、長時間歩くには中もだいぶ痛んできていたので、この靴ではきついなあと思うようになりました。

そして家用の靴を、Mozの合皮の軽いスニーカーに買い替え。

買い替えた後も、何だか離れがたくて残していたビルケンのパサデナ。

それを、とうとう手放す決心をしたのです。

新しい自分には必要ないと、出てきたお札が教えてくれたのでしょうか。

捨てる前に、感謝して塩をふっておきました。

思い入れがある物と別れるのは、とても辛い。

別れが辛いのは、物も人も一緒かもしれません。

自分が長年大切に使ってきた物がゴミとして捨てられ、ゴミ収集車に回収され、燃やされてしまう。

その場面を想像するだけでも、胸が潰れる思いがします。

ビルケンシュトックの靴以外にも、母のお手製の古びたお人形だったり、離れがたかったけれど別れた物があります。

部屋のスペースは限られていて、その中で置いておく物と、そうでない物の取捨選択が迫られる。

シビアな選択をしなければ、快適なスペースを得られない。

苦渋の決断は、自分が生きているうちにしておくのがいい。

死んでから、その物に対する想いを知らない人に雑に捨てられるぐらいなら、自分できちんとお礼を言ってお別れしてやりたい。

だから、私は苦渋の決断をしました。

物が無くなっても、物への愛は残る。

物を処分する中で、特に何も思わず捨てられる物があれば、苦渋の決断をしないと捨てられない物もあります。

そういう思い入れのある物と過ごした時間は一生残るもの。

手元から無くなっても、忘れない物となる。

そういう向き合い方ができる物と出会うと、たとえ物が無くなっても、自分の中に愛が残ります。

物がくれた愛の心は、自分の無形の財産になります。

でも、いつまでも手元に置いておくことが悪いこととは思いません。

新しい自分にふさわしい物を残す

物を捨てれば新しい自分になれる!などとは安易に言えない私です。

実際、物を捨てただけで自分が生まれ変わったようになれるなら、誰も悩み苦しんだりしていないと思います。

古くなったり、生活が変わったりして使わなくなった物をいつまでも置いておくと、今必要な物を片付ける場所を圧迫してしまいます。

現実の生活にも支障をきたしてしまいます。

過去の物は思い入れが有る無しに関わらず、楽しみだけでなく、自分の苦しみも悲しみも共に記憶しているような気がします。

そうした記憶を宿している古い物と別れるだけでも、自分が何かを脱ぎ捨てたように感じることができます。

なりたい自分、理想とする自分があるなら、それにふさわしい物を残し、過去の記憶を宿しているものに感謝して別れる。

人間の細胞が日々少しずつ入れ替わるように、物も新陳代謝が必要なのだと思います。

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