「シンプルな生き方」とは何でしょう?
一言で言うなら、「取捨選択ができている状態」です。
取捨選択ができている状態が、なぜシンプルな生き方なのか。
これについて順を追って書いていこうと思います。
- シンプルな生き方って、どんな生き方なのかな?
- どうやったら、シンプルな生き方ができるのかな?
と思われている方は、ぜひ見ていってください。
シンプルに生きる=物心共に取捨選択が適切にできている状態
シンプルに生きることとは、単に「持ち物が少ない」ことではありません。
もちろん、不必要な物がない状態には違いないですが、
- いる物(必要な物)といらない物(不必要な物)
- やりたいこととやりたくないこと
- 好きなことと嫌いなこと
- 一緒にいたい人と一緒にいたくない人
これが自分の中ではっきりとわかっている状態。
それは、イコール「取捨選択ができている状態」なのです。
取捨選択ができている=シンプルに生きていると、自分にとって不愉快な物、心地の悪いコトを少なくすることができ、以前よりも楽に生きることができます。
では、どうしたら自分にとって最適な取捨選択ができるようになるのでしょうか?
入り口は、まず物の片付けから
何故入り口は物の片付けなのか?それは、物を片付ける中で、心の中も整理されていくからです。
物が散らかっている状態を整理し始めると、「いる物」と「いらない物」を選ばないといけません。
それが「取捨選択する」ということ。
どんな物にも、程度の差こそあっても、少なからず思い入れがあるはず。
最初は、ある物を「いらないから捨てる」と判断するのが苦しくて辛いものです。
でも、それを繰り返すうちに、判断に慣れて少しずつ判断がスピードアップしてきます。
そして、物と向き合い「いる」「いらない」の選別をしている中で、「やる」「やらない」という行動の選択も自然に行なうことができるのです。
だから、シンプルな生き方をしたいなら、まず「片付け」から手をつけるべきなのです。
なぜ、物と向き合うと心も整理できるのか
なぜ、物と向き合うことで「やる」「やらない」という心の整理もできるのでしょうか?
例えば、作りかけで放置している布袋やプラモデルを捨てる選択をした時。
その時、「いらない物」と判断すると同時に、「布袋を作らない」「そのプラモデルを作らない」という行動の取捨選択も同時に行っているのです。
最初は、捨てた布袋やプラモデルだけを作らない選択をしたかもしれませんが、物の取捨選択を繰り返すうちに「もうハンドメイドで物を作らない」「もうプラモデルを作らない、買わない」という選択肢が出てくることもあるのです。
コレクションに関してもそう。
集めていた食玩を「必要ない」と捨てる時に、「もう食玩は集めない」行動を選び、ゆくゆくは「もう物をコレクションしない」という行動に繋がっていきます。
いるいらないの選択を繰り返すうちに、同時に行動の大本である心の中も整理されていくのです。
取捨選択を繰り返すと、好きなことが見えてくる
多くの物に向きあい「いる」「いらない」を選んでいると、「やる」「やらない」が見えてくると同時に、自分が好きな物が見えてきます。
例えば、パリッとしたシャツと、テーパードパンツのスタイルが好きで、その服がたくさんあるとすれば、その服が好きだということ。
そして、好きな服は自分の好きなスタイルであり、それは流行に左右されることがない、揺るぎない自分のスタイルなのです。
「ファッションはうつり変わるが、スタイルは永遠」というココ・シャネルの名言がありますが、片付けを通して、自分のスタイルを見つけられるということもあるのです。
取捨選択を繰り返すと、やりたいことも見えてくる
「いる」「いらない」を選ぶうちに、
- 服をむやみに買いたくない
- 物をコレクションして、掃除がしにくくなるのは嫌だ
- 本をたくさん保管したくない
- 使わない物を保管したくない
などなど、もう二度とやりたくないと思うことが自然と出てきます。
例えば、「物を買って増やすよりも、心に残る体験にお金を使いたい」と思ったり、
「物を溜め込むより、スッキリした部屋でヨガをマスターしたい」など、「やりたくないこと」を通して、やりたいことが見えてきます。
たくさんの物と向き合うことを繰り返すのは、かなりの労力が必要です。
めんどくさくなるなど、苦痛が伴うこともあります。
その苦痛の中に、やりたいことのヒントが隠されているのです。
だから、取捨選択の中で苦痛を感じ始めたら、どんなことに苦痛を感じているのか、心の中を見に行ってみてください。
やりたくないと感じることを見つけたら、「じゃあ、どうしたいのか」考えてみてください。
そこに、やりたいことの答えがあるはずです。
物がある程度片付いてくると、内面の無駄が気になり始める
いるいらないを繰り返していると、好きなことや自分のスタイル、やりたいことに最適化した物が残ります。
今まで邪魔だった物がなくなると、だんだんとやることがなくなり、暇だなと思うようになってきます。
時間に余裕ができて、自分が本来やりたかったことに集中するのに最適な環境が整います。
そして、やりたかったことに手をつけ始めると、今度は自分の行動の無駄が気になりはじめます。
- 時間の使い方が下手
- 無駄な時間が多いような気がする
- ネガティブな妄想をして、不安を大きくしてしまう
- 不本意な人付き合いに気づく
物の整理がひと段落すると、自分の内面の整理に関心が向いてきます。
もっとまとめると、
- 時間の使い方
- 気持ちの持ちよう
ここの最適化にとりかかる段階に来るのです。
内面の整理は、物の整理よりも少しハードルが高く、自分を律することが必要です。
自分を律するというとストイックで敬遠されるかもしれませんが、これも物の取捨選択の時と一緒で、訓練すれば良いだけのことなのです。
- 時間の使い方が下手→一日の大まかな時間割を作る
- 無駄な時間が多い→スマホをだらだらと見ない
- ネガティブな妄想をしてしまう→自分でコントロールできないことに目を向けない
- 不本意な人付き合い→思い切って、原因となる人と距離を取る
こうして「好ましくないこと」をやらないようにしていきます。
シンプルな生き方とは、楽な生き方
物質面でも内面でも、自分にとって最適な「取捨選択ができている状態」が実現すると、このような生活になります。
- 自分にとって必要な物、愛着を持っている物だけに囲まれた生活
- 無駄な物を買わないので、お金の無駄遣いがなくなる
- むやみに不安にならない
- やりたいことがやれる(やりたくないことはやらない)
- 心地よい人付き合いができる
シンプルな生き方というと、禅僧のようなストイックな生活をイメージされる方もおられるかもしれませんが、シンプルな生き方とは、ストイックに生きることが目的ではないのです。
物質面と内面を整理すると、以前に比べて幸福度が増し、生きることが楽になっていきます。
繰り返しになりますが、
- いる物(必要な物)といらない物(不必要な物)
- やりたいこととやりたくないこと
- 好きなことと嫌いなこと
- 一緒にいたい人と一緒にいたくない人
これらの取捨選択ができている状態が、「シンプルな生き方」ができている状態なのです。
誰でもシンプルに生きることができる
シンプルに生きることは、特別な人にだけできることでも、才能でもありません。
もちろん、悟りを開く必要もありません。
より良い人生を求める人なら、誰でもその扉を開くことができます。
難しく考える必要はなく、まずは目の前の物を「取捨選択」していけばいいのです。
私も、かつては物であふれた部屋に住んでいて、物が収まりきらないのは、部屋が狭いせい。
部屋が狭いから、収納を増やせないのだと思い込んでいました。
でも、部屋が片付かないのは部屋の大小の問題ではなく、物を必要以上に持ちすぎていたことが問題でした。
片付けのきっかけは、床に積み上げていた本に足をぶつけて、雪崩を起こしたこと。
足の痛みもそこそこに、本以外にもタンスに収まりきらずに積み上げられた洋服などを見て、衝動的に「こんなに物が多い部屋は嫌だ!」と思ったのが始まりでした。
その頃は、自分の人生の目的なんてなかったし、部屋も内面も散らかり放題。
買い物や人付き合いから仕事に至るまで数多くの失敗を繰り返していましたが、物を片付けているうちに、自分の内面にもじっくり向き合って来れました。
そして、やりたくないことに魂をすり減らし、死んだように生きる毎日に別れを告げるため、会社も断捨離しようと思っています。
ここまで来れたのも、物心両面の整理があったからこそだと思っています。
大げさに見えるかもしれませんが、シンプルな生き方を目指すと、自然と「自分がどう生きていきたいのか、何がしたいのか」も見えてきます。
以上、かつて汚部屋に住んでいた私が、片付けの中で到達した「シンプルな生き方」について書かせていただきました。
あくまでもひとつの考え方なので、参考にできる所だけでも参考にしていただけると嬉しいです。